【刀剣乱舞】黒田組について<へし切り長谷部・博多藤四郎・日本号>
DMMゲームスとニトロプラスが共同制作し、DMM.comにおいてPC向けブラウザゲームとして提供されている「刀剣乱舞-ONLINE-」(略称:刀剣乱舞、とうらぶ)。
本サイトではそんな刀剣乱舞の魅力をたっぷりお伝えすべく、基本毎日更新で様々な情報を提供します。
今回は「黒田組」についてまとめました。
よろしければ、以前まとめた「織田組」についての記事も併せて御覧ください!
↓
「織田組」とは?その由来も合わせて紹介!
黒田組とは?
「黒田組」は、「刀剣乱舞-ONLINE-」に登場し、かつ黒田家とのつながりが明らかになっている刀剣のグループのことを指します。
「織田組」同様公式の設定ではなく、審神者の中から自然発生的に誕生したものです。
黒田組としてイラストが書かれたり、二次創作のテーマになったりしているようです。
黒田組のメンバーは?
「黒田組」は、「へし切り長谷部」「博多藤四郎」「日本号」の3振りです。
へし切り長谷部
博多藤四郎
日本号
へし切り長谷部は「織田組」と重複していますね。
面白いのは、それぞれの刀剣男士が刀種の中で最高の機動力を誇ること。
黒田長政が関ヶ原の戦いにおいて東軍の切り込み隊長であったことも関係しているのかもしれませんね。
それでは、各刀剣と黒田家のつながりを簡単にまとめます。
◆黒田長政(くろだながまさ)
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E7%94%B0%E9%95%B7%E6%94%BFより引用)
安土桃山時代から江戸時代前期にかけて活躍した武将。
有名な策士黒田官兵衛(くろだかんべえ)の嫡男。
1600年の関ヶ原の戦いでは東軍側につき大きな武功を立てた事から徳川家康より大封を受けた。
そして福岡藩を立藩、初代藩主となったとして有名。
へし切り長谷部
長谷部国重の作。
ある日、失敗を犯した茶坊主が棚の下に逃げ隠れました。
刀を振ることができないので棚の下に差し入れたところ、大して力も入れずに胴体を「へしきって」しまったという逸話からこう呼ばれます。
織田信長から黒田長政へと渡りました。
博多藤四郎
刀工は藤四郎吉光。
黒田忠之(長政の子)が小笠原忠真に送り、以後小笠原家に伝来します。
日本号
無銘ですが、金房派の作とされます。
もともとは御物で正三位の官位を賜ったことから、「槍に三位の位あり」と謳われました。
正親町帝から足利義昭、織田信長、豊臣秀吉と渡り、秀吉の時に日本号と名付けられました。
その後福島正則に与えられますが、黒田家の家来である母里太兵衛(黒田官兵衛)が呑み勝ち、日本号を手にしました。
このエピソード故に、「呑取りの槍(のみとりのやり)」と言われます。
黒田組のメンバーの回想条件
黒田組が一緒に組んで見れる回想があります。
其の19博多の話
条件:博多藤四郎、日本号を組ませ出陣
其の21黒田家の話
条件:へし切長谷部と日本号を組ませ出陣
其の22黒田家の話・その後
条件:「其の21黒田家の話」を見たあと、へし切長谷部と日本号を組ませ約15回出陣
最後に
「黒田組」についてまとめました。
機動力の高い彼らは戦場でも大活躍してくれることまちがいなしですね。
歴史の背景を知れば刀剣乱舞をもっと楽しめるはずです!
興味のある方は是非調べて見て下さい(^^)