【刀剣乱舞攻略】宗三左文字ってどんな刀剣?レシピ・ステータス・ドロップ情報
目次
宗三左文字ってどんな刀?
宗三左文字は「そうざさもんじ」と読み南北朝時代(1336年 – 1392年)に造られた日本刀です。
元々は二尺六寸の長さをもっていましたが、二尺二寸一分、およそ67cm、反りは五分三厘およそ1.6cmの大刀となりました。
筑前の左文字作の刀で「享保名物帳」の消失の部に所蔵しています。
名前の由来は四国の三好長政入道宗三が所持していた事から
- 宗三左文字
- 三好左文字
などと、呼ばれるようになりました。
その後、今川義元が所持するようになったので名前も改められ「義元左文字」となりました。
元々は三好宗三から甲斐・武田信玄の父親。、信虎に送られたもの。
1537年頃(天文6年)信虎の長女・定恵院が今川義元に輿入れした時に婿引き出として義元に贈られました。
■武田信虎
また「信長公記」によると織田信長が桶狭間の戦いにて義元を討捕した時信長に召し上げ信長が切れ味を試したところ切れ味の良さを気に入り現在の長さに磨き上げさせたとされています。
そして自分の差料にしていました。
■信長公記
その後本能寺の変にて織田信長が明智光秀に襲われた時に松尾神社の娘が持ち逃げ隠されていましたが文禄になって豊臣秀吉に差し出されました。
1601年(慶長6年)の桃の節句に豊臣秀頼は徳川家康を招待し宗三左文字を贈りました。
家康は愛蔵していたが、大坂城攻めの時これを帯びて出陣しました。この時宗三左文字がいかに重要な物であったのかというのは「豊臣家御腰物帳」に記されています。
1657年(明暦3年)正月の振袖火事にて焼身してしまうことになります。
しかし重要な刀だったので幕府が直ぐに江戸三代の越前康継に焼き直させたと言います。明治13年織田信長を祭神とする京都の健勲神社が創建することになり徳川家は宗三左文字を寄付しました。
その後大正12年に国宝に認定され、戦後国の重要文化財に指定されることになりました。
宗三左文字はどういった姿なの?
宗三左文字は鎬造、丸棟、身幅は広く、鉢は猪首ごころとなり、地鉄は小板目よくつまっており、刃文は互の目乱れでとび焼きがあります。
帽子は乱れこみ尖り、匂口はしまり広直仕立て、帽子は直ぐで小丸となり、彫物は裏表に樋を掻通し中心は大磨き上げ、目打孔二個、差し表には「永禄三年五月十六日義元討捕刻彼所持刀」と記され裏には「織田尾張守信長」と金象かんが入っています。この金象かんは焼身しても残るものだったのでこの部分は焼身にあっても残っていたのが幸いです。
刀剣乱舞での宗三左文字
刀帳 | 81番 |
種類 | 打刀 |
刀派 | 左文字 |
身長 | 179cm |
CV | 泰勇気 |
イラストレーター | 鈴木次郎 |
その容貌は女性の様に美しく「刀剣男士」である事を忘れてしまう程。
同時に宗三左文字の放つセリフもどこか危険で魅力的ですよね。
放っておいたら歴代の主のところへ行ってしまいそうな雰囲気を醸し出しています。
宗三左文字のセリフ
- ……宗三左文字と言います。貴方も、天下人の象徴を侍らせたいのですか……?
- 僕に雑用をさせることで、歴代の主の上を行ったつもりですか?
- いいんですか?かごの鳥を表に出して……冗談ですよ。
宗三左文字のレシピ
鍛刀時間は1時間30分になります。
- 100/400/200/50
がおすすめレシピとされています。
他にも
- ALL600
- ALL650
- ALL550
- 550/550/650/650
などのレシピもおすすめです。
宗三左文字のステータス
生存 | 打撃 | 統率 | 機動 | 衝力 | 範囲 | 必殺 | 偵察 | 隠蔽 | スロット |
32 | 34 | 34 | 33 | 26 | 狭 | 30 | 33 | 33 | 2 |
宗三左文字のドロップ場所
維新の記憶
- 会津
- 宇都宮
- 鳥羽
江戸の記憶
- 鳥羽
- 江戸
- 江戸~元禄~
- 大阪
織豊の記憶
- 関ヶ原
- 本能寺
- 越前
- 安土
戦国の記憶
- 長篠
- 三方ヶ原
- 桶狭間
- 京都
池田屋の記憶
- 市中
- 三条大橋
最後に
今回は宗三左文字について紹介をしていきました。
宗三左文字の美しい容貌を見事に演じたのが「舞台刀剣乱舞」(刀ステ)宗三左文字役を演じた佐々木喜英(ささき よしひで)さんです。
う、美しい…。
刀ステについては下記の記事を参考にして下さい。
>>キャスト情報・刀剣男士ビジュアル一覧と刀ステキャストとの身長比較