【刀剣乱舞攻略】「明石国行」ってどんな刀剣?ドロップ・ステータス情報
DMMゲームスとニトロプラスが共同制作し、DMM.comにおいてPC向けブラウザゲームとして提供されている「刀剣乱舞-ONLINE-」(略称:刀剣乱舞、とうらぶ)。
本サイトではそんな刀剣乱舞の魅力をたっぷりお伝えすべく、基本毎日更新で様々な情報を提供します。
今回は「明石国行」について。
ゲーム内のデータや実際の刀剣に関してあれこれまとめてみました。
目次
明石国行ってどんな刀?
明石国行は「あかしくにゆき」と読む日本の大刀です。長さは二尺五寸三分でおよそ76.5cm、反りは一寸、およそ3.03cmと曲線美のある美しい大刀は現在国宝となっており日本美術刀剣保存協会が所蔵しています。
織田信長が愛刀として持っていた刀は来国行作の刀が多く、来国行は美しくすばらしい刀を作ることができる刀工であり巨匠の刀工として有名です。
来国行が作る刀は短刀はほとんどなく大刀が多いのが特徴であり、現在では国の重要文化財に指定されている大刀の多くが来国行作です。
(http://matome.naver.jp/odai/2143105986803830101/2143140856829905103より引用)
この刀が作られたのは、鎌倉時代中期以降に栄えた刀工集団である来一門の開祖である来国行が作者とされています。
また明石国行の特徴として、国行作中の中では細身の分類に入ります。地鉄は小板目つみであり、刃幅は広めにとってあり優美と気品に満ち溢れた美しい名刀です。形状は鎬造、庵棟、重ねが厚く、身幅は広く良く鍛えられた肌を持っているとされ元幅と先幅の開きがないのが特徴であり、踏張つき、笠木き反りが高く堂々たる出で立ちです。また茎は生ぶで稚股風形であり茎尻は手抜き緒通しの孔がありとても貴重な大刀と言えます。
更に腰元にある浮彫りも鎌倉時代には他に類をみない極めて珍しいものとなっています。
明石国行の名前の由来は明石松平家伝来の故、明石と名前に刻まれたとされています。
明石国行の明石松平家について
明石松平家は、播磨国明石藩であり天和二年(1682年)越前国大野より入封し、松平家が幕末まで在封していました。
松平家の直良は徳川家の次男であり、直明は徳川家康の曾孫にあたります。慶応四年になると鳥羽伏見の戦いで明石藩は京都へ急派することとなります。
その後明石藩は新政府に従い薩摩、越後へ出兵したという歴史があります。
徳川家の血を受け継ぐ明石藩は名刀を持つに相応しい藩であり、藩の名前を頭に持つ類稀な明石国行という美しく優美な名刀を保持していました。
刀剣乱舞の明石国行
公式ツイッターのキャラ設定では、
【新しい刀剣男士情報】1/2 明石国行(あかしくにゆき) 来派の実質的な開祖、来国行作の太刀。明石藩主の松平家に伝来。一応愛染国俊と蛍丸の保護者だが、蛍丸贔屓の困った人物。やる気がないのが売りという言葉も語り口調もどこか訝しく、彼の本心=真実がどこにあるのかは掴めない。#刀剣乱舞
— 刀剣乱舞-本丸通信- (@tkrb_ht) 2015, 4月 24
一応愛染国俊と蛍丸の保護者である明石国行。
やる気がないのがまたいいところですよね!
明石国行ドロップ場所
「刀剣乱舞-ONLINE-」における明石国行は、ボスドロップのみによって入手可能な太刀です。
入手箇所は「6-2」、つまり「池田屋の記憶-三条大橋」です。
もともと分岐のせいでボスにたどり着くことすら大変で、無事たどり着いてボスに勝利してもドロップ率が渋いという大変な状況でしたが、修正により幾分かは入手が楽になりました。
明石国行のステータス
ステータス的には、「生存」と「打撃」が低いものの、「機動力」はレア3刀剣の中では高水準にあります。
生存 | 打撃 | 統率 | 機動 | 衝力 | 範囲 | 必殺 | 偵察 | 隠蔽 | スロット |
42 | 43 | 47 | 43 | 32 | 狭 | 26 | 30 | 30 | 2 |
最後に
今回は明石国行についてまとめました。
このやる気のないキャラクターの裏に隠されたものが明らかになる日は来るのでしょうか。
今年の2016年1月4日~1月13日の期間限定で鍛刀で取得できたこの明石国行。
またいつか鍛刀で取得出来るチャンスがあれば良いですよね!